成田 海翔(少年初段)※2017年5月昇段
ぼくは空手をいつ始めたのか今でも覚えていません。両親に聞くと、幼稚園生の頃に泣きながら連れて行かれたそうです。なぜ空手をするかも分からないため、道場では後ろの赤いマットで寝ていた事もありました。ぼくにも、この記憶は残っています。
稽古を何度もしたり、審査を受けたりしていくうちに、空手に慣れて行きました。そして、初めての支部内試合に出場しました。その時はまだ青帯で苦手な突きがほとんど出せませんでしたが決勝戦まで行きました。しかし、そこで負けてしまい、結果は準優勝でした。この試合で勝ちたいと思ったぼくは、またこの試合に出場しました。しかし結果はまた準優勝でした。次こそは、という気持ちで出た三度目の試合でやっと優勝する事が出来ました。その時の嬉しさや感動は、一生忘れません。
この嬉しさをまた感じたいため、ぼくは自分から試合に出たいと言いました。先生に、お母さんが出ても良いのかを聞いてくれた時に、先生は「小さい大会から出て行きましょう」と言ってくれました。そして、一年生の時に国際親善大会にも出場する事が出来ましたが、やはり世界のレベルはとても高く、二回戦までしか行けませんでした。二年生の時も三年生の時も、出れる限りは、全ての大会に出場しましたが、いつも結果は一回戦負けや二回戦負けでした。そのうちに試合に出るのが嫌になってきました。でも、先生や両親にはげまされ、試合に出続けました。
変わって来たのは昨年の国際親善大会でベスト8に入った時からです。この大会から他の大会でもベスト8に入る事が出来ましたが、入賞まではあと一歩のところで敗れていました。
そして今年は小学生最後の試合でした。一番早い国際親善大会は体重がギリギリで出れましたが、他の大会は出れそうになかったので、この大会で勝ちたい気持ちが強くありました。この日はとても調子が良く、一回戦を勝ち二回戦になると、より強くなっていけました。道場の先輩がずっとセコンドに入り応援してくれたおかげで、ベスト4に入り、嬉し泣きしてしまいました。そして、決勝まで行きました。結果は準優勝でしたがとてもうれしかったです。
今回の昇段審査で合格し、合格祝いに先生から道着をもらった時は「やっと認めてもらえたんだ」と思いとてもうれしかったです。
これからは、もっと認められるような空手をし、指導員になって、後輩を育てて行きたいです。
横浜港南支部
成田 海翔